ほうれんそう企業文化とDXのあわなさは、平安OS V4.6のせい。
ほうれん草とDXのあわなさは、平安OS V4.6のせい
1. 「ほうれん草は正義」のはずなのに、なぜ現場は疲弊するのか
日本のビジネス現場では、 報告・連絡・相談=ほうれん草 は、いまだ「仕事の基本」「社会人の常識」として教え込まれています。
- まず報告しなさい
- 必ず連絡しなさい
- 迷ったら相談しなさい
しかし現場の実感は、かなり違います。
- 何をするにも「まず上司」
- 実作業よりチャットと会議が多い
- 「勝手な判断」を避けるためのほうれん草
- そして、誰も責任を取りたがらない
結果として、
DX(デジタルトランスフォーメーション)をやろうとしているのに、 会議と承認の量だけ増えて、スピードは落ちていく。
この「ズレ」の正体を、この記事では 「平安OS V4.6」という日本文化カーネル として説明してみます。
2. DXが本当に求めているもの
DXをきれいごと抜きに要約すると、だいたい以下のようなものです。
- 現場で素早く意思決定できること
- データとロジックで判断すること
- 失敗を前提に、小さく試して、すぐ直すこと
- 権限を現場側に寄せること
- ツールやフローを柔軟に組み替えられること
言い換えると、
「一人ひとりが、ある程度勝手に動いても大丈夫な仕組み」
を作るのがDXです。
つまり、 スピード・自律・実験・学習 がコアになります。
3. 現代日本を動かしている「平安OS V4.6」とは何か
ここで出てくるのが、 比喩としての日本文化カーネル 「平安OS V4.6」 です。
これは、憲法でも法律でも規程集でもありません。 もっと深いレベルの、
「日本人が無意識に従っている、行動ルールと価値観」
です。
主な“仕様”は、だいたいこんな感じです。
- 和を乱さないことが最優先
- 直接的な対立は避ける
- 前例がないことは怖い
- 失敗は「学び」ではなく「汚点」
- 上の顔色と空気を読む
- 曖昧なまま、丸く収める
- 誰の責任かが常に気になる
このカーネルは、奈良・平安時代に成形され、 江戸・明治・昭和を経ても基本構造はほとんど変わっていない、 超ロングサポート版OS です。
4. ほうれん草は、この平安OSの「通信プロトコル」
ほうれん草そのものは、本来は悪いものではありません。
- 情報共有
- リスクの早期検知
- 判断の透明化
といった、合理的な目的も持っています。
しかし日本の組織では、 ほうれん草は 平安OS V4.6 専用プロトコル として実装されています。
その結果、ほうれん草は現場でこう変質します。
- 判断するためではなく、「責任を分散する」ための報告
- 情報を共有するのではなく、「自分だけ悪者にならない」ための相談
- 連絡は、「一応メールしておきました」という alibi ログ化
つまり、「上にボールを投げておく」ためのプロトコルになりがちです。
5. DXが求めるロジック vs 平安OSほうれん草の挙動
対比すると、こうなります。
| 項目 | DXが求めるもの | 平安OS V4.6 + ほうれん草が実際に起こすこと |
|---|---|---|
| 意思決定 | 現場で即断即決 | 上司が捕まるまで保留 |
| 失敗 | 小さく失敗し、すぐ学ぶ | 失敗は「誰のせいか」会議になる |
| 報告 | データと結果の共有 | 「一応、報告した」という痕跡作り |
| 相談 | 専門性にもとづく意見 | 空気の確認と「責任の肩代わり」 |
| スピード | 早く試して、ダメなら引き返す | 稟議と会議で数日〜数ヶ月ロス |
| 権限 | 下に降ろす | 上に吸い上げる |
DXは「権限移譲と自律性」を前提とします。 一方、平安OSのほうれん草は「権限集中と責任回避」に最適化されています。
ここで、根本的なOSレベルの不整合が起きている のです。
6. 「ほうれん草が悪い」のではなく、「カーネルが古い」
ここで重要なのは、
「社員がダメ」 「若手が自分で考えない」 「管理職が腰が重い」
という“個人の問題”ではなく、
「平安OS V4.6の上で動いている限り、 ほうれん草はそういう振る舞いをする」
という 構造上の問題 だという点です。
- 空気を読む
- 前例で判断する
- 失敗を許さない
- 上司の顔色で決まる
こうしたカーネルが変わらない限り、 ほうれん草は自動的に「DX殺しのプロトコル」 として働き続けます。
7. カーネルは変えられない。では、何を変えるのか?
ここまで来ると、
「じゃあどうすればいいのか?」
の答えは、かなり冷酷ですがシンプルです。
- カーネル(平安OS)は、原則として変えられない。
- 変えようとすると、50年〜100年スパンになる。
- 法律や制度を変えても、無意識のOSはそのまま残る。
では、現場レベルで何ができるのか。
答えは、
カーネルを改造するのではなく、 その上に「互換レイヤー」を載せること。
です。
8. 「ほうれん草DX」は、“互換レイヤー”として設計し直す
たとえば、こんな考え方が現実的です。
-
報告の目的を「守り」から「判断の高速化」に変える
- 「怒られないための報告」から
- 「次の一手を早く決めるための報告」へ
-
相談を「責任転嫁」から「選択肢の増幅」に変える
- 「決めてください」ではなく
- 「A案/B案/C案を用意したので、一緒に選びましょう」へ
-
連絡を「とりあえずメールしました」から「非同期ログ」に変える
- 言った/言わないのためではなく
- いつでも追跡できる情報共有として残す
-
承認フローを可能なかぎり“事後承認”に寄せる
- 「動く前にハンコ」から
- 「小さく動いて、問題がなければ事後承認」へ
-
DXプロジェクトだけは「別ルールコンテナ」で運用する
- 会社全体を変えようとしない
- 1つのプロジェクト単位で、 「ここはスピードと実験を優先する区域です」と決めてしまう
つまり、
平安OSのホストの上に、 DX向けの小さな“別OSコンテナ”を立てる
という設計です。
9. 結び:ほうれん草をやめるのではなく、「アップデートする」
この記事のポイントは、
- ほうれん草そのものが悪いわけではない
- ほうれん草が 「平安OS V4.6 向けに最適化されすぎている」 のが問題
- DXは別OSで動く前提の思想なので、 そのままでは噛み合わない
- カーネルは変えられないので、 互換レイヤーとして「ほうれん草DX版」を設計するしかない
というところにあります。
「社員の意識改革」よりも前に、
どのOSの上で、どのプロトコルを動かしているのか
という視点を持てるかどうかが、 DXの成否を分けるのかもしれません。